百寺納経

第七箇寺 成田山新勝寺|般若理趣経

真言宗智山派大本山成田山新勝寺(千葉・成田市)

開山は宇多天皇の孫大僧正で、時に天慶3年(940)。寛朝は朱雀天皇より平将門の乱平定の密命を受け、弘法大師敬刻開眼の不動明王を奉持し成田に至り、護摩を修して大任を果たした。都に帰ろうとしたが、尊像が衆生利益のため当地に留まると霊告したため、天皇は国司に命じて堂を建立、新勝寺の寺号を与えた。

【書人寸言】この般若理趣経には大変な思い出があります。私が25歳の時、和歌山にあります新義真言宗総本山根来寺で1年4ヶ月お世話になり、初めてこの経文に触れさせて頂きました。生まれて初めてお経を書かせて頂いたのがこの理趣経であります。 字数にして三千余字の大作がまさか自身で書けるとは思いませんでした。これは、まさしく仏さまのお導きで、書けたと信じております。技術的に当時は全く駄目でしたが、書き終わった時の心の安堵は未だに忘れられません。これが本当の写経なのかもしれません。