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墨を磨るということ

 学生の頃、先代に「この硯で、この墨を磨っておけ…」と頻繁に言われた。学生時代は、学校から帰ったら、先ず仕事の手伝いから始まる。確か、あまり自分の時間というものは無かった気がした。要は学生時代も「書」に明け暮れていたのである。
 「墨磨り」はとても辛いものがある。世間では「お稽古をする前、心静に墨を磨って、気を落ち着かせ、落ち着いた所で書を書き始める」と言われているが、現実はそうではない。週刊誌より大きめな硯に、ひどい時は円形の墨を磨る時もあった。一度、かなり疲れてたのか、ごまかして墨汁を混ぜて磨った。ところが先代にばれてしまい、こっぴどく叱られた時もあった。「墨を磨って、心落ち着かせるなんてあり得ない。明日まで磨りあげなければならない」とても辛いものがあった。精神統一して墨を磨ることは不可能とさえ思っていた。
 しかし、この十数年は墨の磨る姿勢が変わってきた。必ず書く前に一時間以上は墨を磨ってから筆を持つ。墨を磨らず、端から筆を持つ事は無くなった。ただ、それが果たして「精神統一に繫がるか…心落ち着かせる為に磨るのか」とは違う気がする。きっとどこかに、筆、墨、硯、紙に対する敬意があるのではなかろうかという気がする。では、墨汁でも、ナイロンの筆、セラミックの硯、パルプ用紙でも、気持ちさえ確りすれば、確りしたものが書けるのではなかろうかと思われてしまう。果たしてそうであろうか。
 いずれにせよ、今夜も墨を磨りながら、先代、先人に敬意を表したい。

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