百寺納経
第十九箇寺 興福寺|唯識三十頌
法相宗大本山興福寺(奈良・奈良市)
藤原鎌足夫人が京都の私邸に建てた山科寺に始まる。その後飛鳥に、更に平城遷都の際、当地に移転、興福寺と名付けた。奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一に数えられた。春日社の実権を収め、鎌倉・室町時代には大和国の守護の任に当たった。明治初期の神仏分離・廃仏毀釈で荒廃したが、その後復興した。
【書人寸言】この度、ご縁がありまして唯識三十頌を謹書させて頂きました。 今回の作品謹書時には、今までの写経と異なり、特別なものを感じとることができました。大乗仏教の原点とも言われている唯識三十頌は寧ろ哲学書ではないかと思われ、その根本思想であるアラヤシキ(阿頼耶識)、マナシキ(末那識)については、人間の奥深い真理探究の世界に触発され、私自身も書くにつれ、心の安らぎさえ感ずることが出来た不思議な経験を致しました。 私にとって、先達が残された素晴らしい経文を一つでも多く書き残すことが使命であり、生き甲斐として信じるものを得られたのも事実であります。深く学ぶことができた唯識三十頌でした。