2024年3月8日 10:00
方向性
前号の続きであるが、文化遺産に携わっている方は大変なご苦労がある。然し皮肉にも人類は、破壊に向かっている。脳もAIに浸食されている。文化どころではない。だからこそ、文化を守ろうとしているのであろう。芸術・文化の発展はどうなるであろうか。
「書」に関して言えば、先ず、道具、材料が無くなった。筆はナイロン、墨は墨汁、紙はパルプ、硯はセラミック、その中で善いものが生まれる筈がない。よしんば、良い物を手に入れたとしても、かなりの高額になる。お金が無ければ良いものは生まれない。前号の貴族的立場の人しか生き残れない。「書」の世界は危機的な現状である。もう終わっているのかも知れない。
その様な中で、文化がどうのこうのは矛盾している。反論の方は大勢おられる。現実、その世界に携わっている方々には悲劇である。周りは「そんな事はない。クラウドファンディング、国から基金・支援金・給付金等々をして貰えばいいのでは・・・」本当に無責任である。言うは易しである。
これはかなりネガティブである。私自身は少々疲れている。自分で蒔いた種で自爆になりかねない。作品を書く上で、筆、紙、墨、硯を固守している事が。やや力尽きている部分がある。あの、鳥の子特号紙が使えた時代が懐かしい。筆も羊毫と言って、馬の毛以上に品質が良い時代があった。墨は膠が無くなり、硯は凡人の手には入らなくなってしまった。人間、ヤケクソになってはいけない。さて、これから残りの人生、道具とどの様に対峙していくのか、考えさせられる。
指導をしている立場であるから、会員にも出来うる限り考慮して行きたい。七十を過ぎ、ベストを尽くし真摯な指導・・・。楽しい時間をつぶし、生業的な「書」では無く、「書」を守る文化を伝えたい。それこそ伝統文化の良さを多くの方に知ってもらいたいが為に最善を尽くしていきたい。
しれにしても現実は怖いもの。天変地異の中、人間は未だに自らが破壊行為に進んでいるのである。
(機関誌 泰斗令和六年三月号 巻頭言より)