本日の書
2016年9月27日 13:20
縦30㎝×横80㎝
「書」を書く時、何を考え、何を思って書くか。
この二文字はそれ以上の事を思わせるかもしれない。
「神佛」は、自分ではかなりの緊張感をもって書いている。
その緊張感こそ「書」の根源である。
文字を愛(め)で、神佛に対し一字礼拝の如く。
老泰
2016年9月20日 5:00
韓退之(かんたいし)・符読書城南(ふ しょを じょうなんによむ)
中国唐代の文人である韓退之が息子・符に対し「学問で一番大切なのは読書である。今、燈火親しむ秋であるから読書しなさい。秋は読書に一番適している季節である」ということを表現した。この言葉が「読書の秋」の由来である。この「書」は先代・泰雲が四十代に書いたものとされている。それを模倣してみたが、先代の「書」に対する思いを、多少感じる事が出来た。
老泰
2016年9月15日 5:00
水清くして魚棲まずと言う格言がある。
人間どんな状態であれ、しっかりしたものでなければならぬ。
「書」もしかり。環境に左右されるような「書」はあまり良くない。
どんなに辛くても、混沌たる中でも、書き貫く精神が欲しい。
何故か、この語句を書くと、そんな思いがいつもするする。
老泰
2016年9月10日 5:00
「奔馬」を思い出し…
私の造語である。
三島由紀夫の四部作…ボブ・シーガーの「奔馬の如く」などなど。
そんな発想で「書」を書くのもよい。
思いつきや発想で書くのは、日頃の鍛錬からなせる技が理想。
ただの思いつき、発想はつまらぬ…。
老泰
2016年9月7日 5:00
鸞は霊長の名。鳳凰に代表される瑞鳥。形は鶏に似て羽毛は五色がまじり、声は美しく天上の音楽に似ているという。鸞凰といえば有徳の君子又は優れた同志の友、傑出した人材の意もある。
鸞が舞う姿を、蛇が驚いて鎌首(かまくび)をもたげた様子。
古来から書道用語として使われている。
(孫過庭・書譜より)