本日の書
2017年3月31日 16:42
法華経・観世音菩薩普門品の中の語句。福徳の集まることが海のように広大であるということ。
経文を書くときは、いつも緊張する。確かに漢詩漢文でも緊張はあるが、殊に経文は一種独特の重みを感じてしまう。
「書」は常に緊張の連続である。現代は「書」を楽しむという立場もあるが、それでは決して、高い境地は望めない。芸術とはそういうものである。精神的、宗教的思想が入らなければならない。
肩肘張った、ものの言い方かも知れないが…。
老泰
2017年3月11日 12:40
ある時は龍となって天を駆け、
ある時は蛇となって泥沼をはう。
時の動きにつれて治世にはあらわれ、
乱世には潜むことをいう。
今は「蛇」なのか?
老泰
2017年2月20日 0:01
雄の鳳と雌の凰が飛んでゆく。
婚礼の時によく使う言葉。孔子の編纂と伝えられている歴史書「春秋」の中にある。こんな時代から婚礼の儀に、若者夫婦が仲良く巣立つ事を祈っての言葉。
いつの時代も祈ることは同じである。
今回、友人のご子息の婚礼の儀に寄贈した。古めかしい言葉かもしれないが、いつまでも幸せであって欲しい。
老泰
2017年2月10日 0:01
楷書らしく楷書を…。
常にどんな漢詩、漢文を書くときも思っている。
例え、春暁の様な穏やかな内容であっても楷書で書く。
無骨ではあるが、それが柳田流の「書」の生き方である。
老泰
2017年1月30日 0:01
前回「心」を書かせて頂いた。
どうしても、上手く書こうなどの煩悩が働くのか、気がつくと力みの「書」になってしまう。心穏やかに書けない。
そこで、少々、柳田家先々代・泰麓(たいろく)の「書」を見直した。
自分が歳をとったのか、新鮮に見えた。「なんと抑揚のある線だろう…」
で真似してみたのがこれだ。「なんとぎこちのない線なのだろうか…」
「幽意閑情」とは、穏やかなる心と静閑なる情とも言えるのだろうか…。
「書」の境地には色々ある。この世界も中々いいものがありそうだ。
老泰
