本日の書
2017年1月30日 0:01
前回「心」を書かせて頂いた。
どうしても、上手く書こうなどの煩悩が働くのか、気がつくと力みの「書」になってしまう。心穏やかに書けない。
そこで、少々、柳田家先々代・泰麓(たいろく)の「書」を見直した。
自分が歳をとったのか、新鮮に見えた。「なんと抑揚のある線だろう…」
で真似してみたのがこれだ。「なんとぎこちのない線なのだろうか…」
「幽意閑情」とは、穏やかなる心と静閑なる情とも言えるのだろうか…。
「書」の境地には色々ある。この世界も中々いいものがありそうだ。
老泰
2017年1月21日 0:01
誰がよんでも「こころ」
然し、その思いは千差万別。
自分が「心」を書く時はどんな思いで書くんだろう。
いま思え返せば、精一杯書く事だけしか考えられない。
「書」は無心の境地では書けない。
有心有情・憂心有情…造語であるが。
老泰
2017年1月10日 0:01
この世の中、誰しもが平和を祈っているはず。
書人は書人の立場で平和を祈っている。
世の中が平和であることを祈り、この作は私の書き初めである。
「萬壽無疆」とはいつまでも長生きして貰いたいと言う意味である。
世界が、地球が、宇宙が、そして心が、いつまでも長生きしてもらいたい。
そんな感じもする。
諍いの無い世界とは…。
老泰
2016年12月30日 0:01
扇面楷書作品は珍しい。昔から中国では扇面紙に水墨画を描いたり、書を書いたりする。それが珍重される。確かに扇面作品で良いものが多く残っている。そこで、その扇面に楷書で書いたらどうなるであろう。現象として、下にいけばいくほど字が小さくなる。当たり前である。でも書くに連れ興に乗り面白くなってきた。 老泰
解説
白楽天が左遷された時の話しであろう。
県の長官になったが不快なので、門を閉じてしまった。庭には秋草が生えてきた。何でこの粗野な心を満たしているかといえば、竹を百本あまり植えた。その光景はまるで山中にいる気持ちになる。仕事がひまな時は、一日中、手すりのまわりの竹を見て歩いている。竹の根がまだ固まっていない、かげが深くないなど問題ではない。竹林のお陰で庭には清涼の気が流れている。とりわけうれしいことは窓際で寝ると、風が竹枝に触れる音を聴き、それが細やかな憩いの時間となる。
2016年12月20日 16:23
「書」を書くとき、その題材に合わせて内容を吟味する。
だから、楷書の場合、「酒」の言葉が少ない。
「書」は、内容と書体、作品の大きさを考えないといけない。難しいところである。
何でも書けばいいと言う訳にはいかない。
さて今回の「天空海闊」は…。
性格が大らかでさっぱりしていること。
「天空」はすっきりと晴れ渡る広い空のこと。
「海闊」は広大な海のこと。
その気持ちで書けたか。少なくとも自分自身は気持ちよく書く事を心掛けた。
でも、難しい…楷書は。
老泰