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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その63

今回は~【筆の持ち方と書の美学】泰斗5月号を書きながら柳田流の筆の美学を語る。~です。

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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その62

今回は~【囲碁×書】先代・泰雲との思い出の日本棋院で対談しました。~です。

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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その61

今回は~【検証】書道ど素人に泰山先生が30分教えたら「書」はどれだけ上手くなるのか?~です。

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第三十回泰書展を終了して

第三十回泰書展を終了して

二十九年間、開催時に雨が降ったのはほんの数回でした。正に、「晴れ男」の一言に尽きました。それが今年は台風の脅威に曝されてしまいました。二十九年分の雨、台風のご挨拶で始まった記念すべき第三十回泰書展でした。ただ、陳列日には幸いに台風一過のような晴天に恵まれたことにより無事に陳列が出来、お手伝いの方々に喜んで頂けたことは、スタッフ一同、胸を撫で下ろす様な気持でもありました。

さて、記念すべき第三十回で、今回から日本経済新聞社様が共催との事で新聞に二回、泰書展開催記事が掲載されました。会員諸氏はピンとこない方が
大勢おりましたが、これは大変な事、泰書會にとって一大事であります。興福寺様の時もそうでしたが、中華人民共和国駐日本大使館後援、上野の森美術館後援も誠にありがたい事であり、日本経済新聞社様の共催につきましては二十九年間の努力の結晶、それに対するご褒美ではないでしょうか。泰書會の歴史に最大のエポックを残す結果となりました。

泰書會・泰書展は、それ程大きな組織・書展ではなく、寧ろ地味な活動をしている書道団体であります。日展を含め、各新聞社企画の書展、書道団体から比較すると、極めて小さな書道団体であります。一団体、一組織ではなく、泰書會は一家と言える程なのです。

また、今回は中国上海からも、第三十回展を盛り上げて頂くため、大勢の方が訪日、ギャラリーで覚群書画院作品展が併催されました。日中文化交流に微力ながら貢献する事が出来ました。

第一回展より、泰書會に関わって頂いた方々に心から御礼申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。

(機関誌 泰斗令和六年十月号 巻頭言より)

第三十回泰書展を終了して

3月1日

最近、「書」に関して、一体どれが「正しい」のか「正しくない」かが難しくなってきた様な気がする。過去の「書」の作品(中国古典書も含め)を見ると、少なくとも楷書作品には名筆が少ないのも事実である。だからと言って無理矢理に楷書を「正しい書」と断言も出来ない。では、本当の正しい「書」とは…。結論を言えば、見る側の受け止め方一つになる。よって「好き・嫌い」で判断される。自分の思ったものが「正しい書」となる。それ以外の作は解らないからノーコメントとなる。

さて、書人の立場から言えば…。意外と自信を持って書いている場合が多く、自分の作品に対しては満更でもないと思うのが当たり前でもある。他人の作品は、心のどこかで受け入れられない。不思議である。ところが、一般的には有名な中国古典書を見ると、大体が「これは素晴らしい」と言う。その根拠は前述した「好き・嫌い」からではないか。かく言う私自身は、かの王羲之・蘭亭序の本当の姿が解らない。皆が良いから良いと言うことになるのか。でも良いのである。これが「正しい書」である。技術なのか、人物像から察しての評価なのか。唐の太宗が寵愛したからか?

本題に戻すが、本当の「正しい書」とは結局難しい、と言うより解らない。だから、書く側としては、謙虚な気持ちで「書」に対峙しなくてはいけない。「自分で、これは正しい書」と言い切るのは禁物である。兎に角、どんな書体を書こうが「書」を冒瀆しない事を心がけて貰いたい。了見の狭い考え方は避けたい。私は、未だ「正しい書」が書けているかが解らない。だからこそ経文を書き、どこかに救いを求めているのかも。

取り留めの無い話ではあるが、心中を察して頂きたい。