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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その117

今回は~【人のために書くとは】リクエストがあったお祝い事に使える喜ばれる四字熟語を書きます。~です。

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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その116

今回は~【日本橋書道教室】泰書會の会員と「書」の思い出と出会いを語る。~です。

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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その115

今回は~【四大家を書く】九成宮醴泉銘の臨書に挑戦します。~です。

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ご挨拶

ご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は皆様より温かいご支援とお力添えを賜り、お陰さまで百寺納経の節目を迎えることができました。改めて心より御礼申し上げます。

本年は丙午の年にあたります。できれば駿馬のごとく颯爽と進みたいところではございますが、今の私は、むしろ「馬翁(ばおう)」のように落ち着いた歩みを大切にし、年齢相応に静かな時間の中で「書」と向き合ってまいりたいと考えております。

一般に「書」は七十代が円熟期とも語られます。しかしながら、私にとってその境地はまだ遠く、今なお自信の揺らぎが胸をよぎることもございます。何を求め、どこへ向かおうとしているのか、自問自答を続ける日々です。ただ、人の心は単純に「ポジティブ」「ネガティブ」と分類できるものではなく、その両面を抱えながら歩むことこそ、人間らしさの証であると感じております。歳を重ねても心が揺れる・・・。それは決して私だけでなく、きっと皆様お一人おひとりにも通じるものがあるのではないでしょうか。

泰書會の「書」にご縁のある皆様には、単なる「お習字」にとどまらず、書道という深い世界を、ご自身の感性を通して味わっていただければと願っております。また、泰書會を温かく応援してくださる多くの皆様におかれましても、今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。

日本と中国、それぞれの「書」の文化が、まるで虹の端のように結び合い(先日、唐招提寺での奉納儀の帰りの道中でその虹がくっきりと浮かんだのは、佳き思い出の一コマとなりました)、豊かに響き合う未来を共に見届けていただけましたら幸いです。

(機関誌 泰斗令和八年一月号 巻頭言より)

ご挨拶

3月1日

最近、「書」に関して、一体どれが「正しい」のか「正しくない」かが難しくなってきた様な気がする。過去の「書」の作品(中国古典書も含め)を見ると、少なくとも楷書作品には名筆が少ないのも事実である。だからと言って無理矢理に楷書を「正しい書」と断言も出来ない。では、本当の正しい「書」とは…。結論を言えば、見る側の受け止め方一つになる。よって「好き・嫌い」で判断される。自分の思ったものが「正しい書」となる。それ以外の作は解らないからノーコメントとなる。

さて、書人の立場から言えば…。意外と自信を持って書いている場合が多く、自分の作品に対しては満更でもないと思うのが当たり前でもある。他人の作品は、心のどこかで受け入れられない。不思議である。ところが、一般的には有名な中国古典書を見ると、大体が「これは素晴らしい」と言う。その根拠は前述した「好き・嫌い」からではないか。かく言う私自身は、かの王羲之・蘭亭序の本当の姿が解らない。皆が良いから良いと言うことになるのか。でも良いのである。これが「正しい書」である。技術なのか、人物像から察しての評価なのか。唐の太宗が寵愛したからか?

本題に戻すが、本当の「正しい書」とは結局難しい、と言うより解らない。だから、書く側としては、謙虚な気持ちで「書」に対峙しなくてはいけない。「自分で、これは正しい書」と言い切るのは禁物である。兎に角、どんな書体を書こうが「書」を冒瀆しない事を心がけて貰いたい。了見の狭い考え方は避けたい。私は、未だ「正しい書」が書けているかが解らない。だからこそ経文を書き、どこかに救いを求めているのかも。

取り留めの無い話ではあるが、心中を察して頂きたい。