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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その7

Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その7

今回は「書家の仕事風景」です。

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新倉典生師に捧ぐ

師が患ったと聞いたのが昨年。ただ師の気性からして強気の日々を過ごしておられると思っていた。その間、何度も会う機会があり、集約すれば「五種法師」を私に教え諭してくれていた。私は凡人の、ただ「書」を生き甲斐としている人間。それがいつの間にか、法華経三昧となっていた。数年前、師の計らいで身延山の五重塔に法華経全文を奉納する事が出来た。それから数日後「泰山先生、きっともう一度法華経全文を書くよ・・・」。まさかと思いつつ今日まで時が経ってしまった。それが、何を思ったのか昨年、師に「来年くらいから法華経を書くよ・・・ 」と話をした。

その時の嬉しそうな顔が今だに忘れられない。「よし、それを書き上げたら經本として印刷して全宗派に配ろうよ… 」目を輝かせながら語り合った。師みたいに、凡人の信心もろくにない自分に思いをかけてくれるのは頭が下がる思いである。早く師に見せて上げたい。師と帯同した法華経。たとえ黄泉の国に行っても、私は後から追っかけ、師に法華経全文を渡すつもりである。   

泰斗編集のこの日、師の訃報( 五月一日逝去) を聞かされました。敢えて、師に対する哀悼の言葉として掲
載をさせて頂きました。

新倉典生師に捧ぐ

7月8日

江戸時代中期に儒学者であり、書家であったと言う大塩鼇渚(おおしおごうしょ)と言う先生がおられた。その著『筆道秘伝書』の一節に「一、筆をとるときは、身体を真直ぐ保ち、心を正すべし。二、漢字の形を注意深く検討し、静かな心で書くべし。三、筆は優しく取り扱うべし。四、字に肉を加えよ。五、筆のリズムに気をつけよ。六、決められた形を守って書くべし」と書かれていた。

現代でも通用する言葉である。しかし現実は違う。「書」のあり方がこうも違うのか…と思うくらい、現代の「書」は変わってしまった。文明の進歩に伴い文化の変容が大きく影響している。書は「文房四宝」に重きをおいているが、ここにも悲劇が生じている。良いものが容易に手に入らなくなった。その事は私にとってかなりな難事である。この二大要素が「書」を駄目にしたのか、というと実は違う。この二つの事は言い訳に過ぎぬ。もっと重要な事が忘れ去られている。それは冒頭に記載した『筆道秘伝書』の言である。この中の六筆道の原則を守るには相当な習練が必要となる。経験をどれだけ積むかは、最後には量的な問題になってしまう。今の世の中では限度があり、そこに妥協が生じている。難しいところである。

さて、昨今の「書」の世界には歴史背景、技法をあたかも大袈裟な言い回し、もったいぶった言い方で論じている輩が大勢いる。「何とも言えぬ線質。何とも言えぬ間合い。」これは滑稽である。「何とも言えぬ書」は所詮「何とも言えぬ」書なのである。定義が難しい「わび・さび」という評も同じである。「書」に「わび・さび」は必要ない。この六筆道を守ればいいのである。

7月1日

七十二箇寺目となる今回の奉納も本妙院関係各位、教室会員の出席で
式が執り行われたこと、心より感謝申し上げます。