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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その116

今回は~【日本橋書道教室】泰書會の会員と「書」の思い出と出会いを語る。~です。

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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その115

今回は~【四大家を書く】九成宮醴泉銘の臨書に挑戦します。~です。

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ご挨拶

ご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は皆様より温かいご支援とお力添えを賜り、お陰さまで百寺納経の節目を迎えることができました。改めて心より御礼申し上げます。

本年は丙午の年にあたります。できれば駿馬のごとく颯爽と進みたいところではございますが、今の私は、むしろ「馬翁(ばおう)」のように落ち着いた歩みを大切にし、年齢相応に静かな時間の中で「書」と向き合ってまいりたいと考えております。

一般に「書」は七十代が円熟期とも語られます。しかしながら、私にとってその境地はまだ遠く、今なお自信の揺らぎが胸をよぎることもございます。何を求め、どこへ向かおうとしているのか、自問自答を続ける日々です。ただ、人の心は単純に「ポジティブ」「ネガティブ」と分類できるものではなく、その両面を抱えながら歩むことこそ、人間らしさの証であると感じております。歳を重ねても心が揺れる・・・。それは決して私だけでなく、きっと皆様お一人おひとりにも通じるものがあるのではないでしょうか。

泰書會の「書」にご縁のある皆様には、単なる「お習字」にとどまらず、書道という深い世界を、ご自身の感性を通して味わっていただければと願っております。また、泰書會を温かく応援してくださる多くの皆様におかれましても、今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。

日本と中国、それぞれの「書」の文化が、まるで虹の端のように結び合い(先日、唐招提寺での奉納儀の帰りの道中でその虹がくっきりと浮かんだのは、佳き思い出の一コマとなりました)、豊かに響き合う未来を共に見届けていただけましたら幸いです。

(機関誌 泰斗令和八年一月号 巻頭言より)

ご挨拶

7月8日

江戸時代中期に儒学者であり、書家であったと言う大塩鼇渚(おおしおごうしょ)と言う先生がおられた。その著『筆道秘伝書』の一節に「一、筆をとるときは、身体を真直ぐ保ち、心を正すべし。二、漢字の形を注意深く検討し、静かな心で書くべし。三、筆は優しく取り扱うべし。四、字に肉を加えよ。五、筆のリズムに気をつけよ。六、決められた形を守って書くべし」と書かれていた。

現代でも通用する言葉である。しかし現実は違う。「書」のあり方がこうも違うのか…と思うくらい、現代の「書」は変わってしまった。文明の進歩に伴い文化の変容が大きく影響している。書は「文房四宝」に重きをおいているが、ここにも悲劇が生じている。良いものが容易に手に入らなくなった。その事は私にとってかなりな難事である。この二大要素が「書」を駄目にしたのか、というと実は違う。この二つの事は言い訳に過ぎぬ。もっと重要な事が忘れ去られている。それは冒頭に記載した『筆道秘伝書』の言である。この中の六筆道の原則を守るには相当な習練が必要となる。経験をどれだけ積むかは、最後には量的な問題になってしまう。今の世の中では限度があり、そこに妥協が生じている。難しいところである。

さて、昨今の「書」の世界には歴史背景、技法をあたかも大袈裟な言い回し、もったいぶった言い方で論じている輩が大勢いる。「何とも言えぬ線質。何とも言えぬ間合い。」これは滑稽である。「何とも言えぬ書」は所詮「何とも言えぬ」書なのである。定義が難しい「わび・さび」という評も同じである。「書」に「わび・さび」は必要ない。この六筆道を守ればいいのである。

7月1日

七十二箇寺目となる今回の奉納も本妙院関係各位、教室会員の出席で
式が執り行われたこと、心より感謝申し上げます。