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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その90

今回は~【三千字の大作】10日間、中国の屯蒙学舎(伝統文化書院)で三千字の大作を書いてきました!!~です。

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今回は~【書やプライベートの話】今日は書かない書人になります。~です。

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今回は~【書道の教育】現代の書道をどう子供に教えて伝えていくかという話をします。~です。

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今回は~【日本の究極美】久しぶりに仮名を色々と書いてみた~です。

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今回は~「書」に魂を吹きこむ男。~です。

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今回は~【★わかりやすく解説★】 半折課題を説明しながら楷書の基礎を教えます!!~です。

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「書」は時間を巻き戻さねばならない芸術

「書」は時間を巻き戻さねばならない芸術

いま私は、唐招提寺、石山寺、そして中国の寺院の経文などを日々書き続けている。とはいえ、まる一日を「書」のために費やせるわけではない。本来ならば、自分の「書」にもっと集中すべきなのだが、現実はそうもいかない。

さて、「書は時間を巻き戻さねばならない芸術」、ずいぶん大袈裟な題であるが、今朝、まさにその言葉を思い知る出来事があった。それは、一枚が約九百字からなる二枚の作品。その二枚目の七百字あたりで誤字をしてしまったのだ。一瞬、頭の中が真っ白になった。「これが現実か・・・」と思わず、諦めかけた。しかし、ここが勝負の分かれ道。失った時間-およそ三日分-を取り戻さねばならない。どこかで時を巻き戻したく、再び筆を取る決心をした。

長文の「書」において、字形の乱れはやむを得ないとしても、誤字は決して許されない。脱字については、泰書會の会員が泰書展に出品する作品であれば何百字という長文の中で一文字二文字が抜ける程度は致し方ない。だが、経文となれば話は別だ。誤字も脱字も、絶対にあってはならない。何千字にも及ぶ経文であっても、当然それは許されない。

三尺・六尺の和紙に千字以上を収める。そこに問われるのは、いかに誤字を避けるかであり、いかに「上手く」書くかではない。上手さは、経験と失敗の積み重ねの中から生まれるもの。今回の「頭の中が真っ白になる・・・」ような体験も、また貴重な糧となるだろう。

小楷(小さな文字の楷書)の難しさがここにある。これは私一人の苦しみではない。今、泰書展に向けて長文に取り組んでいる会員諸氏もまた、同じ想いを抱いているに違いない。同じ「書」に向き合い、同じ悩みを抱えながら、筆を進めているのだ。

さぁ~今夜は、三日分の時間を取り戻すための製作に励もう。

(機関誌 泰斗令和七年六月号 巻頭言より)

「書」は時間を巻き戻さねばならない芸術

10月18日

様式美とは何か・・・。当然、読んで字の如しであろう。総ての芸術には様式美がある。これは芸術の中の法則といっても良いだろう。又、転じて精神美にも繋がるであろう。とても大切なことであり、現代では失われつつもある。

では「書」における様式美とは何か。当然、結構(字の形)・規範が問われる。それが理解されなければ本道に入れぬ。泰書會では多くの方々がそれに悩まされている・・・様式美に。美しい「書」を求めれば求めるほど、その様式美の純度が高くなる。また、そうでなければいけない。純度が高ければ高いほど、精神が研ぎすまされてくる。「書」は精神そのものである。

そんな事を述べてしまえば、皆が散ってしまうかもしれない。それほど気宇高邁なものがある。それが美しいのである。様式美を忘れた書、芸術は「佛作って魂いれず」である。その魂から精神美が生まれ、その精神美を求めるには様式が必要となってくる。

人間の心の奥底には、どんな形にせよ必ず美を求めている心がある。また求めなくてはいけない。その美とは、人間道に通ずるものがある。外見の美しいものは滅びる。内面の美しいものは研ぎすまされてくる。だからこそ生き方にも様式が欲しい。

様式美はルールである。そのルールを身につけなければ前に進まぬ。甘いルールには美が遠のいてしまう。様式美の追求こそが、人間道の真でもある。私は、それを「書」によって得られればと思う。総ての芸術から感化されれば極致でもある。(泰斗 平成十五年三月より)

10月1日

毎月の巻頭言は、日頃から考えていないと中々思うようにいきません。今回の緊急事態の様な時には思いがけない考えが浮かんできます。人間は、その都度、悩み、思い、歓喜するものであります。今回は決して歓喜ではありませんが・・・。辛い(例え時間がかかっても)後はきっと・・・。

さて、「書」について三つの要素とは・・・。

第一に、自分の中に無限の豊かさがある事です。「書」は確かに人様のものを見て、それを参考にして書き上げていくものです。ただ自身の中に無限の力があるので、余り他者に拘り過ぎてもいけません。豊かなものは自分の中にあり、それを探す事かも知れません。そこに「書」の面白さがあります。

第二に、高みに向かって努力する事は決して厭わない事です。現在、無駄なことをしている様でも、それは実は高みに向かっている過程でもあります。今は程遠いと感じていても明日には一歩前に進んでいる事は間違いありません。それが「書」でもあります。

第三に、精神がより高くなっていけば、その精神が健康であればあるほど自身の人生の格が上がるという事です。自身の心の中の繊細さを見つけ、若しくは見分けられれば、それが本当の「書」ともなります。

以上、述べましたこと、実はある本がヒントでした。うなずけるものが沢山あり、「書」に全く関係の無い内容でしたが、実は人間の行為というのはさほど変わらないということです。人間は所詮人間の範疇でしか動けないから、例え、分野が違っていいても実は同じような事柄が多いのではないでしょうか。

人間の心は無限の様です。自分の中にその無限さがあるという事を、その本で気づかされました。

令和二年十月