News
Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その78
今回は~【柳田流を伝授】書道のトメ・ハネ・ハライが上手くなるコツを教えます!!~です。
よろしければ御視聴・チャンネル登録よろしくお願い致します。
Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その77
今回は~【書道デビューしたい人必見】初心者が柳田流の書道を体験してみた。~です。
よろしければ御視聴・チャンネル登録よろしくお願い致します。
Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その76
今回は~【柳田流】私がこだわる線と姿勢について徹底解説します。~です。
よろしければ御視聴・チャンネル登録よろしくお願い致します。
名人の書画 書画の名人
名人の書画 書画の名人
最近、あるオークションを見学させて貰った。会場には千人以上の来場者がいた。演出は当然、ハデな催し物であった。正月に近かったので、その雰囲気そのものの賑やかさであった。今回のオークションは書画のみで、特別な催しとも聞いた。点数は三十点と意外にも少ない出品であった。
このオークションは、売り上げ全額を慈善団体に寄付するとの事である。これは、世界的に見ても、現代の状況を見れば納得もする。世界中に、天災・人災に遭われた方々が大勢おられる。
今回は、書画専門の富裕層の集まりであり、凡そ、三時間で三十点近い作品が瞬く間に落札され、計一億二千万に達した。これには驚いた。確かに、有名な作家、質の良い作品なのかもしれないが、一点が何百万円もする。見ず知らずの作品(私が知らない作家・・・それは無知なのかもしれないが・・・)が高値で平気で落札される。最近、どこかの国のアーティストがバナナをガムテープで貼ってあるだけの作品で一億という値がつき、それを落札した人がいたと聞いた。考えられない。書画の様な、それも歴史背景が確りした作品、骨董であれば解らない訳でもない。現代の芸術作品、アートの世界は狂気の沙汰である。
ある方が書画を学んでおり、その師匠の作品が「一億円もします」と自慢げに話していたのは滑稽にすら感じた。芸術の価値観は完全に崩れてしまった。これは世界的な現象である。
ある友人が、「名人の書画か、書画の名人か」と語ったのが印象的であった。何が本物なのか解らなくなってきた。
(機関誌 泰斗令和七年三月号 巻頭言より)

Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その75
今回は~【コメント返信&反省会】2023泰書展を振り返って~です。
よろしければ御視聴・チャンネル登録よろしくお願い致します。
Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その74
今回は~【関東第一高等学校100周年記念行事】柳田泰山、学校にて100人書きに挑戦!!~です。
よろしければ御視聴・チャンネル登録よろしくお願い致します。
Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その73
今回は~【第二十九回】楷書が一堂に会する泰書展を歩きながら紹介します。~です。
よろしければ御視聴・チャンネル登録よろしくお願い致します。
活動
- 2025年2月
- 2025年1月
- 2024年12月
- 2024年11月
- 2024年10月
- 2024年9月
- 2024年8月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年12月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2018年3月
- 2016年9月
- 2016年7月
2021年12月
12月3日
書人の立場の納得とは
前号の「満腹・・・満足」が自分の中で尾を引いている。自分で書きながら、俗に言うトラウマである。
最近、来月号の半折課題の手本を書き始めた。いつもの様に草書から書くのが習慣となっている。ところが、何枚書いても納得がいかなくなってしまった。明らかに「満腹・・・満足」が意識の中に入ってしまった。果たして「納得」とはどの時点なのであろうか。おそらく、世の中の人々が全員、その様な場面に出くわしているのではなかろうか。
自分は、たかが書人・・・。誰が見たって、これが上手いか、下手か、何だか解らない、と曖昧模糊とした感想になってしまう。以前にも述べたのだが「何とも言えない作品」と言うフレーズがあるが、これは上手いのではなく、文字通り何とも言えないのである。結論は上手くないである。世の中に「わび、さび、かれ」と言う言葉がある。これも言葉尻を把えて「わび」はただわびしいのか・・・。「さび」はたださびてしまったのか・・・。「かれ」は枯れてしまったのか・・・となる。これは「わび、さび、かれ」を称えている人には冒瀆である。それだけ言葉選び、言葉遣いが難しい。
「書」の理想とは、生命力があり(かれてはいけない)、人々に感動を与えられ、誰にも理解し易いものではないかと思っている。昔は、「書」が解らない者は解らなくてよい。解りたければ勉強すればいいのであると言った方が大勢いた。又、他の「書」は「書」ではないと、過激な発言も多くあった。今はそこまでは無いが、我が習っている「書」が最高と思われている方も大勢いる。それも危険な考えである。
話を元に戻すが、とにかく納得のいく草書が書きたい・・・。こんな歳で三十枚も四十枚も書いても仕方がないとの矛盾だらけ。
「たかが手本、されど手本。どうしたものか…」。締切が間近である。結局のところ妥協の産物となってしまう。これから果たして何度、納得した作品が書けるのであろうか、恐れおののいている自分がいる。前号と同じ内容ではあるが、どなたかお察し願いたい。
「七十にして矩を踰えず」どころではない。迷いの七十の道である。(泰書會 機関紙泰斗 12月号巻頭言より)