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ジグソーパズル
ジグソーパズル
最近、細字を書いているとジグソーパズルを思い出す。一字一字のピースを重ねて行く内に一つの作品が仕上がる。然し、いつも途中でそのピースが見つからず失敗に至る。一体、何をしているのか・・・。
今年の泰書展では三千ピースを二点仕上げた。それも間違いがなく(不出来は別として)纏め上げる事が出来た。
ところが、般若心経や大悲呪などの経文では時々、ピースを無くしてしまう。二百字や四百字のピースなのに、すぐに一つのピースが失われてしまう・・・。まるで自分の人生みたいなもの。
人生は希望があったり、失望があったり、ジグソーパズルとしては永久に仕上がらないもの。今の状態、年齢からくる体力が失われているのか。それはただの言い訳に過ぎない。毎日、コツコツ仕上げているのに、途中で何かを無くしてしまう。放棄してしまえばいいのにと考えられるが、それは人生そのものを放棄するのに等しい。困ったもんだ・・・。もう晩年なのに、うかうかしていられない。その焦りがあるのか。それも違う。やはり力不足であろう。この繰り返しである。
この瞬間、経文の文字を間違えてしまい、気を取り直し、この稿を書き始めた。毎度の事ながら、一つのパズルを作るのに試練としか言いようがない。たかが「書」である。その間違いは誰にも解らないかも知れない。特に何千字のピースは解らない。でも自分が許しがたい。こんなにチャランポランな自分が、そこは恐れおののいている。
天の声がいう。「誰も解りはしない。適当に書いたら・・・一層の事、辞めたらどうだ・・・」それは悪魔の囁きであろう。そして善の天使は何も言わない。
(機関誌 泰斗令和六年十一月号 巻頭言より)
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6月25日
「書」を志す者へ
昔、「名人」と「達人」の違いについて友人と語った事がある。これは、どちらとも言いがたく、何の結論に達する事もなく、結果、無責任ではあるがどちらでも良いとい笑い話になってしまった記憶がある。(実は達人が上であると・・・?)改めてそこを捻くり返して語ってみたい。
例えば武士の場合、自分が死なずに人を殺す事が出来、生涯を通す事の出来たのが「名人」。人を殺さず剣の修業のある域に達したのが「達人」と言う・・・かもしれない。また、弓の名人がいて、達人を求めて山奥に行き、出会ったら、その「達人」の老人が、その名人に「不射之射」という境地を見つけたという中国の逸話がある。そこから得られた話として、長年の間何かに打ち込んでいくと、常人では想像もできない世界に到達することがあるのだろう。また、西部劇では有名なワイアット・アープは弾を一度も体に受けていないという話も聞いた。これらはすべてフィクションであろう。然し、どこか頷けるものがある。
では「書」には「達人」「名人」がいるのであろうか・・・。それは解らない。余程修業をつむ事によってその域を垣間見る事ができようか。先人の中には居たであろう。勿論、私には論外、無理である。それでも何かを求め続けなくてはいけない。これが「迷人」の行きつくところかも知れぬ。
この号が会員諸氏の手元に届く頃には、泰書展の作品制作も佳境に入っているであろう。どうか、気後れ、気負いを取り払い、今の自分を曝け出して貰いたい。「名人」、「達人」にならなくてもよい。ただ、あるがままの自分が表現出来たならば、それがその方の極致の世界となる。
(機関誌 泰斗令和五年六月号 巻頭言より)