News
Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その66
今回は~【書家の1日に密着】書家が12時間の作品・千字文を書く動画~です。
よろしければ御視聴・チャンネル登録よろしくお願い致します。
Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その65
今回は~【書に込められた情熱が、美しい文字を生む。】書道歴62年が考える良い書悪い書とは?~です。
よろしければ御視聴・チャンネル登録よろしくお願い致します。
Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その64
今回は~【泰斗 5月号】行書・草書・隷書でシンプルに書く動画~です。
よろしければ御視聴・チャンネル登録よろしくお願い致します。
ジグソーパズル
ジグソーパズル
最近、細字を書いているとジグソーパズルを思い出す。一字一字のピースを重ねて行く内に一つの作品が仕上がる。然し、いつも途中でそのピースが見つからず失敗に至る。一体、何をしているのか・・・。
今年の泰書展では三千ピースを二点仕上げた。それも間違いがなく(不出来は別として)纏め上げる事が出来た。
ところが、般若心経や大悲呪などの経文では時々、ピースを無くしてしまう。二百字や四百字のピースなのに、すぐに一つのピースが失われてしまう・・・。まるで自分の人生みたいなもの。
人生は希望があったり、失望があったり、ジグソーパズルとしては永久に仕上がらないもの。今の状態、年齢からくる体力が失われているのか。それはただの言い訳に過ぎない。毎日、コツコツ仕上げているのに、途中で何かを無くしてしまう。放棄してしまえばいいのにと考えられるが、それは人生そのものを放棄するのに等しい。困ったもんだ・・・。もう晩年なのに、うかうかしていられない。その焦りがあるのか。それも違う。やはり力不足であろう。この繰り返しである。
この瞬間、経文の文字を間違えてしまい、気を取り直し、この稿を書き始めた。毎度の事ながら、一つのパズルを作るのに試練としか言いようがない。たかが「書」である。その間違いは誰にも解らないかも知れない。特に何千字のピースは解らない。でも自分が許しがたい。こんなにチャランポランな自分が、そこは恐れおののいている。
天の声がいう。「誰も解りはしない。適当に書いたら・・・一層の事、辞めたらどうだ・・・」それは悪魔の囁きであろう。そして善の天使は何も言わない。
(機関誌 泰斗令和六年十一月号 巻頭言より)
活動
- 2024年10月
- 2024年9月
- 2024年8月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年12月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2018年3月
- 2016年9月
- 2016年7月
2022年2月
2月1日
「ある書展を観て」
最近、ある書展を観た。その会場に入った瞬間、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館を思い出した。勿論、グッゲンハイムの方が遙かに優れている。当時( 今から四十年程前)、祭日のような日にも拘わらず、そのグッゲンハイムに入った瞬間、美の静寂を感じた。それはどこかの美術館の様に、輻輳、混雑を極めた、およそ鑑賞の域に足らずとは大違いであった印象である。いずれにせよ、美術鑑賞は静かに観たいものである。
中国の美術館も意外と静かに見る事が出来る。然し、世界的な傾向として、ネットでの入場券購入が至極当然の様になってしまった。美術鑑賞は贅沢を言えば、行きたい時に行って、気が向いたら観られるのが良く、それが心の癒しともなる。ある高僧が、仏像は寺で観るのが一番と述べていた。私自身も以前、高名な日本画家の仏頭だけの画を拝見した時、正直、気分を悪くしてしまい、早々に退出した思い出があった。
冒頭に述べたその書展は、私の想像を遙かに超えた陳列配置であった。一点一点の作品の間合いが素晴らしかった。作品と作品の空間が空きすぎと思ったが、次の作品に移動する際、広すぎた間合いが逆に心を変えられる瞬間、前のを引きずらず鑑賞が出来た。これは羨ましい陳列である。普通は、これ見よがしに作品を並べ立て具満タン的陳列、そして来客が多すぎて、背中から押されそうになる雰囲気には辟易である。美しいものを観る時は、やはり間合いが絶対的条件である事を悟った。
空間間合いと、作品自体の紙面に対する間合いが一致して初めて、よい展覧会となるかもしれない。確か、MOA美術館もそうであった気がする。
結論を述べると、本当の美術鑑賞は都会ではなく、地方の美術館や静かな神社仏閣に行って鑑賞するのがよい。
(機関紙泰斗 令和4年2月号 巻頭言より)