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是非に及ばず
是非に及ばず
いい言葉だと思った。これを「書」の上での例えとして、私の思いを述べてみる。ただ見当違いな場合もあるが、そこは許して貰いたい。
最近の出来事に、経文の失敗が続いてしまった時期があった。珍しいことである。普段なら、せいぜい一枚か二枚、四、五百字ほど書いたところで、文字の書き違いが生じる程度である。それも、筆が馴れて軽率な心で間違える。ところが今回は、四枚続けざまの失敗であった。さすがに自分の愚かさが、身に滲みて感じられた。
これを修行というならば、この歳では無意味にさえ思える。若いうちの修行はいくら積んでも将来があるが、晩年ともなれば、かえって厄介なものとなる。一瞬にして、これまで積み重ねてきたものが、すべて気泡のように消えてしまう感覚に陥る。それでも、歩みを止めるわけにはいかず、なお経文を書き続けなければならない。
折しも、新聞のコラムに織田信長の「是非に及ばず」の言葉が紹介されていた。ふと、我に返った気がした。「善悪を論じる余地もなく、避けられない状況をそのまま受け入れること」との解説である。
とはいえ、現実には、改めて筆を取ることが怖くなった。また失敗するのではないか、その不安が先に立つのである。今の状況下では、よほど覚悟が必要であろう。これだけ長年、経文を語るように書き続けてきたにもかかわらず、このような状態に陥るとは、精神力、集中力、忍耐といったものすら無用に感じられてしまう。それでもなお、「是非に及ばず」と受け止めるより他に、道はないのであろうか。
(機関誌 泰斗令和八年二月号 巻頭言より)
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2月1日
「ある書展を観て」
最近、ある書展を観た。その会場に入った瞬間、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館を思い出した。勿論、グッゲンハイムの方が遙かに優れている。当時( 今から四十年程前)、祭日のような日にも拘わらず、そのグッゲンハイムに入った瞬間、美の静寂を感じた。それはどこかの美術館の様に、輻輳、混雑を極めた、およそ鑑賞の域に足らずとは大違いであった印象である。いずれにせよ、美術鑑賞は静かに観たいものである。
中国の美術館も意外と静かに見る事が出来る。然し、世界的な傾向として、ネットでの入場券購入が至極当然の様になってしまった。美術鑑賞は贅沢を言えば、行きたい時に行って、気が向いたら観られるのが良く、それが心の癒しともなる。ある高僧が、仏像は寺で観るのが一番と述べていた。私自身も以前、高名な日本画家の仏頭だけの画を拝見した時、正直、気分を悪くしてしまい、早々に退出した思い出があった。
冒頭に述べたその書展は、私の想像を遙かに超えた陳列配置であった。一点一点の作品の間合いが素晴らしかった。作品と作品の空間が空きすぎと思ったが、次の作品に移動する際、広すぎた間合いが逆に心を変えられる瞬間、前のを引きずらず鑑賞が出来た。これは羨ましい陳列である。普通は、これ見よがしに作品を並べ立て具満タン的陳列、そして来客が多すぎて、背中から押されそうになる雰囲気には辟易である。美しいものを観る時は、やはり間合いが絶対的条件である事を悟った。
空間間合いと、作品自体の紙面に対する間合いが一致して初めて、よい展覧会となるかもしれない。確か、MOA美術館もそうであった気がする。
結論を述べると、本当の美術鑑賞は都会ではなく、地方の美術館や静かな神社仏閣に行って鑑賞するのがよい。
(機関紙泰斗 令和4年2月号 巻頭言より)
