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我に七十難八十苦を与えたまえ
我に七十難八十苦を与えたまえ
愚かな話である。いい歳をして何をか言わんや・・・。
人、各々の生き方がある。これは、年寄りの戯言とご容赦願いたい。最近、会員や巷からも「終活」を聞く。私にとっては、とんでもない「死ぬまで書き続けていく・・・」。終わりの準備をする余裕なんて考えられない。それも冒頭に申し上げた、人、各々である・・・。失礼な言葉だがお許し願いたい。
「終活」するならば、自分の為に努力し、それを残していけばよい。それをどう活かすかは後の者に託す。恩着せがましく、「誰それの為に」はおかしいと思う。命有る限り、自分を大切にして貰いたい。「終活」ではなく、生きていく為の「生活」になるべき。「終活」のエネルギーがあるならば、それを「生活」に変えた方がよい。その為には、先ず自分を大切にしなければいけない。そうでなければ、相手も幸せにならない。自分を犠牲にして、相手が幸せになる事はない・・・これも言い過ぎであろう。
私自身は求めている「書」がある。然し、最近は「書」の方が私に要求してくる。「お前はこれが書けるのか・・・書けるものなら書いてみろ・・・」。それも挑発的に聞こえてくる。頭の中がごちゃごちゃになる。
世間からは、悠長な事言って、ノウテンキと言われそう。でも私は必死である。何故ならば、「書」を残さなければいけない。それも、後の人々に理解してもらう「書」をである。「書生活」していかなければならない。子供の頃に「我に七難八苦をあたえたまえ」と言われた。未だにそれが忘れられない。それは七歳くらいの時。今は✕十である・・・。
(機関誌 泰斗令和六年九月号 巻頭言より)
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2月1日
「ある書展を観て」
最近、ある書展を観た。その会場に入った瞬間、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館を思い出した。勿論、グッゲンハイムの方が遙かに優れている。当時( 今から四十年程前)、祭日のような日にも拘わらず、そのグッゲンハイムに入った瞬間、美の静寂を感じた。それはどこかの美術館の様に、輻輳、混雑を極めた、およそ鑑賞の域に足らずとは大違いであった印象である。いずれにせよ、美術鑑賞は静かに観たいものである。
中国の美術館も意外と静かに見る事が出来る。然し、世界的な傾向として、ネットでの入場券購入が至極当然の様になってしまった。美術鑑賞は贅沢を言えば、行きたい時に行って、気が向いたら観られるのが良く、それが心の癒しともなる。ある高僧が、仏像は寺で観るのが一番と述べていた。私自身も以前、高名な日本画家の仏頭だけの画を拝見した時、正直、気分を悪くしてしまい、早々に退出した思い出があった。
冒頭に述べたその書展は、私の想像を遙かに超えた陳列配置であった。一点一点の作品の間合いが素晴らしかった。作品と作品の空間が空きすぎと思ったが、次の作品に移動する際、広すぎた間合いが逆に心を変えられる瞬間、前のを引きずらず鑑賞が出来た。これは羨ましい陳列である。普通は、これ見よがしに作品を並べ立て具満タン的陳列、そして来客が多すぎて、背中から押されそうになる雰囲気には辟易である。美しいものを観る時は、やはり間合いが絶対的条件である事を悟った。
空間間合いと、作品自体の紙面に対する間合いが一致して初めて、よい展覧会となるかもしれない。確か、MOA美術館もそうであった気がする。
結論を述べると、本当の美術鑑賞は都会ではなく、地方の美術館や静かな神社仏閣に行って鑑賞するのがよい。
(機関紙泰斗 令和4年2月号 巻頭言より)