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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その113

今回は~【書道×アート】芸術を知って書道の基本に帰る~です。

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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その112

今回は~【お遊び回】過去最低?3人の合作アート作品を書いてみた結果~です。

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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その111

今回は~【書道に年齢は関係ない】学生展の作品を背景に色々と話します。~です。

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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その110

今回は~【検証】運筆のスピードで「書」はどう印象が変わるのか?~です。

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一つ終えれば・・・

一つ終えれば・・・

昔、和歌山の根来寺で約一年四ヶ月程、お世話になったことがあります。在家の身でありながら、総本山の門をくぐらせていただき、貴重な日々を過ごす事が出来ました。

私の仏道の師である関尚道猊下は、当時すでに「稀に見る高僧」と称される方で、そのような方に仕えることは、身の引き締まる思いというより、むしろ気が滅入るほどの重圧を感じていました。

そんな私に、師は「君は本堂と奥の院の掃除だけをすればよい。あとは経文を書いて過ごしなさい」とだけ仰いました。とは言うものの実際には、参拝団の対応に対し右往左往、慣れない法要の準備、また、給仕や布団敷きなど、多くの雑務にも追われ、慌しい日々を送っていました。その経験は貴重なものとして、その一つ一つが修行だったと今では思っています。これは感謝あるのみです。

忘れられない一つに、奥の院の石畳の回廊を掃除した経験です。掃いても掃いても落ち葉が降り続け、果てしない作業にため息をつきながら掃除をしていた時、ある高僧がこう言ってくださいました。「落ち葉を一枚拾えば、一つ何かが終わり、何かを得ることになるのです」。当時は、それすら理解出来なかった自分でした。その言葉を真に受け入れられたのは百寺納経後半頃でありました。結果、その金言が百寺納経の歩みから満願成就へとつながっていきました。

人は、苦しい時にこそ、自分が何をするべきかを問われる・・・今年は、例年以上にそのことを深く実感する一年となりました。

書人・柳田泰山に関わられている全ての方に心より感謝申し上げます。来年も何卒、宜しくお願い申し上げます。

(機関誌 泰斗令和七年十二月号 巻頭言より)

一つ終えれば・・・

6月20日

「力はあなたの弱さから生まれる」あるラジオから聞いた言葉です。何とはなしに聞き流していたが、ふと考えついたことがあります。これはフロイトの言葉ですが、そこにはコンプレックスから生ずる「力」がもたらすものと解釈されているようです。そこで私は違った観点から「力はあなたの弱さから生まれる」を考えてみました。

常日頃から「書」を書きはじめる時は勇気がいると思っておりました。そこには、意気込みもありますが、不安も出てきます。当然の事ではありますが、色々なことが脳裏をかすめます。そして弱気もでてきます。然し、その弱さがとても大事であると以前から気がついておりました。人は弱気になった時、初めてその人の力が見られるのではないでしょうか。「書」もその弱さの中から打ち勝つエネルギーが発散され、自己精神の強き力をぶつけなくてはいけません。弱気になってはいい「書」が書けません。あらゆる緊張感からも「力」が出てくるのです。喜怒哀楽も「書」には必要でしょう。そしてもっと次元の高い「書」はその喜怒哀楽をも通り越し、その時の最大限の「力」を醸し出さなければ、本当の「書」に到達し得ないものです。これは日の浅い「書」を学ぶ方にもいえます。きっと真剣に書いている時、そのひとの最大限の「力」が出ている筈です。

書く為の「力」すなわち生きる為の「力」が人間の根源ではないでしょうか。私は「書」を通じて、フロイトの「力はあなたの弱さから生まれる」の言葉が少し理解できたような気が致しました。(泰斗 平成十二年二月号より)

6月1日

作品制作にはいろいろなプロセスがある。それを人生に例えれば、全くそのままが人生の縮図と言えるであろう。私が言うまでもないが人生には山あり谷あり、決していい時ばかりではない。だけれども何か物事を一つ仕上げたときには、解放感、充実感、安堵感がある。そしてその瞬間からこれでいいのかと不安感が出てくる。その繰り返しが人生である。よほど信念をもって人生にも作品制作にも立ち向かわなければいけないのに、これまた弱いのが人間である。私なんかはその典型的な例だと思っている。

作品制作は強気と弱気の葛藤である。自分で選んだのだから自分で責任を取らなくてはいけない。それが、その書に対する礼儀であろう。礼儀無くして書は書けぬ。それだけその瞬間は崇高なものであって欲しい。だが、先程述べたように人間は脆いものである。消極的と思われる方もいるだろうが、恐らく自問自答すれば解ることであろう。私自身は以前述べたことがあるが、製作プロセスに必ずそれが入る。そうするとしきりに反省しなければならないものがある。その時は必死になって払いのけるようにして、作品に打ち込む。そこで初めてその人の人柄が表れてくるだろう。大げさないい方かもしれぬが、それが書の制作の魅力でもあり、人生修行でもある。

最後に述べておきたいことがある。それは、他人の作品は非難しやすいが、そのような人は果たして自分の作品を非難することが出来るであろうか。人生観においても・・・。(泰斗 平成十二年五月より)