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純化から鈍化そして劣化

最近、昔の事が頻繁に思いだされる。それをどう「書」に繋げるかも考えている。今までの生き方を反省しつつ、「書」に繋げていきたいとの思いである。今の書人・柳田泰山としての考えをここに述べておく。

楷書は常に純粋でなくてはいけない。巧みな線は必要ない。ただ先月号で述べたように「無知」でもいけない。少なくとも今自身が書いているものに、精神を吹き込む事が大切である。技量は経験から生まれるもの。今、悟ったものが直ぐに出るわけでもない。恐らく早くても半年、一年かかっても悟ったと思ったものが書けるかどうか。兎に角、自分には煩悩があり、それを持ちつつ、如何に単純に純粋に書くかだけである。ただこれには、筆を持つ姿勢(心の姿勢と筆を持つフォーム)が拘わってくる。これを述べると際限がない。自分の経験からすると、筆は紙面に対して真っ直ぐ、言わば直筆で書けばいい。筆をこねくり回すと嫌らしい線になってしまう。総てストレートで純粋がよい。

さて、問題なのは、書き始めから考えが纏まらず、エイ、このまま書いてしまえ、という感覚が生ずる時である。同時に考えが頑固になってしまう事もある。頑固と言うのは、時にはいい事もあるが、悪い事も屢々ある。自分は後者になってしまいがち。頑固はいけない。道が狭くなる。それも歳を重ねる程、その様になってしまう。挙げ句に劣化してしまう。

純化から鈍化、そして劣化との思いは、ある程度、歳をとってから出てくるもの。であるから若い時にどれだけ興味を持って求めるものに対して挑戦するか。純粋な気持ちで対峙するか。その生き方でその人間の性根が出てくる。然し、それでも最後は劣化するであろうが・・・。

純化から鈍化そして劣化

Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その5

今回は、幸せになれる縁起が良い書、です。

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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その4

泰山先生のYoutubeチャンネル4回目。

今回は「〜手書きの賞状ができるまで〜柳田泰山先生の仕事風景!」です。

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1月15日

教室の時とは違う雰囲気の泰山先生です。
よろしければ御視聴ください。(HP編集担当)

1月1日

新年にあたり

今年ほど、「新年にあたり」がそぐわない年はないのではなかろうか。これほど不安を抱きながら新春を迎えるのも未だかつてない事である。「だからこそ明るい新年を・・・」と思う方も大勢いるであろう。ただ、私自身は、このままでよいと思っている。というより自粛の気持ちを大切にするべきであろう。何かに浮かれる年ではない令和三年にしたい。

「書」についても同じである。元来「書」は浮かれてはいけない。寧ろ厳粛であるべきだ。世の中では浮かれた「書」が流行っている。それは間違いである。これは神道、仏教を見れば解る。「書」も同じである。「書」ばかりではない。芸術分野総じて浮かれてはいけない。こんな年だからこそ大切に見直すべきではなかろうか。

書人として残り十数年しかない。七十を過ぎて初めて「書」の根幹を揺るがす自身の迷い。それを払拭するが如く、書く事に専念しなければと心秘かに念ずる「年頭の気持ち」である。

一寸先は闇である。だからといって闇の中で右往左往しても仕方がない。行動する事により、僅かな光が見えるはず。光さえ見えない時は暗中模索となり、苦労が絶えないであろう。ただ苦労をしてでも光を見たいという衝動にもかられる。果たして自身の力は無尽蔵か、或いは無いのか。見切りをつけなければならない時期が来るのであろうか。そんな時は諦めも肝心である。理想は命尽きる時が諦めである。命あるうちに諦めざるを得ない場面が来るのか・・・。そうならない様に努力をしなければならない。願わくはどこまでも書き続け、解らず仕舞いで筆を絶つ時を迎えるのがよいかもしれぬ。

新年にあたり、自身への戒めとして書いてみた。