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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その8

Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その8

今回は「意外と知らない!「習字」と「書道」では○○が決定的に違う!」です。

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氣韻生動

「気韻生動」とは風格気品がいきいきと充ち溢れていることである。中国絵画では六法の一とされている。

一、気韻生動(きいんせいどう)(生命力)。
二、骨法用筆(こっぽうようひつ)(素描力・線)。
三、応物象形(おうぶつしょうけい)(描写力・形)。
四、随類賦彩(ずいるいふさい)(彩色力)。
五、経営位置(けいえいいち)(構成力)。
六、伝移模写(でんいもしゃ)(模写)。

此を「画の六法」という。

いかに「書」が技巧的に工夫されて美しく書かれていたとしても、ただそれだけでは所詮空しい「書」のデザインにすぎない。観る人になにがしかの感動や興味を喚起することがなければ本当の「書」とは言えない。本当の「書」が現代に残っているのは、当初から今日まで芸術としての関心がもたれ、長い年月を生きのびる力を持っているからこそである。

ただ、そうは言うものの、古来、中国・日本の「書」で真の芸術と言わしめる作品はそうざらには無い。絵画と違って不思議に「書」を芸術として扱う場がなぜか少ない。

ここでは中国から伝わった「書」について考えてみる。中国六朝時代(二二二年〜五八九年)からの「書」には文化的流れからして、哲学、文学、美術等の見識や精神が抽象され結実したものと解釈されている。然し、それは前述した様になにがしかの感動を喚起する力と必ずしも結びつくものではない。その何かが、「気韻生動」であろう。この二つのエネルギーが揃う事により最高峰の「書」が生まれ、真の芸術となり得るものである。

私達は優れた先人の「書」に接する時、描かれている文字の姿態や、文字の意味などを超越して大きな感動を受けた経験が屢し ばしば々ある。そう感じさせた正体が「気韻生動」というものであろう。私自身にとって一つの帰着点であると感じてきた。

この巻頭言は、故事来歴を紐解き、自身への戒めとして纏めてみた。

氣韻生動

2月1日

先月、墨の話をさせて頂いた関係で、今月号では紙の話、来月は硯、そして筆の話を述べてまいります。
私たち「書」に携わる者にとってこの文房四寳はなくてはならない大切な道具であります。ただ最近は、この価値基準が乱れ何でもござれの時代となってしまいました。心中穏やかではありません。
紙の起源は古代エジプトの「パピルス」が有名です。中国では前漢時代に麻の紙が発見されたと言われております。そして、日本では聖徳太子の時代、楮こうぞが和紙の原料となり、雁が んぴ皮 、麻、三み つまた椏、檀まゆみ、苦く じん参 など使われ、それが現代まで延々と受け継がれています。世はパソコン時代ではありますが、紙の需要はまだまだ続くでしょう。その紙を私たちは浪費しています。もっと紙を大切に扱わなければいけません。そうかといって洋紙で書けばいいのでしょうか? どうも洋紙と墨の相性がよくありません。又、紙は表具にまで影響します。特に表具の糊にも関係してきます。いくらいい墨、紙で書いても表具の裏打ち紙、糊で保存状態が違ってきます。
私自身、先代の紙に対する扱いを目の当たりにしております。まず、新しい中国の紙が手に入ると、一枚一枚、反物の様に丸めて(およそ二十五枚くらい)一本にし、書かれる机の後ろに、反物屋の如く、数十本仕分けをしながら置いてあります。きっと、自分の手で紙に触れ、この紙では、こんな物を書いたらという思いがあるのでしょう。見ながら、触れながら、紙を愛め でています。本当に先人は紙を大切に扱っています。
「書」を学ぶ者の中に、書いている最中に、駄目だからと言って途中で破棄してしまう方が大勢居られるでしょう。それは確かに仕方がないでしょうが、出来れば最後まで書き貫いて頂きたい。それが紙に対する敬意でもあります。また、書き損じは、余白が多ければ切り取り小品制作に使います。また、失敗作は捨てず、私たちが言う、押し紙として残しておきます。などなど、これからの時代、紙の資源が変わっていきますので、心して紙に向かわなければいけません。
紙は神さまであります。