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今回は~【筆の持ち方と書の美学】泰斗5月号を書きながら柳田流の筆の美学を語る。~です。
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今回は~【囲碁×書】先代・泰雲との思い出の日本棋院で対談しました。~です。
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今回は~【検証】書道ど素人に泰山先生が30分教えたら「書」はどれだけ上手くなるのか?~です。
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第三十回泰書展を終了して
第三十回泰書展を終了して
二十九年間、開催時に雨が降ったのはほんの数回でした。正に、「晴れ男」の一言に尽きました。それが今年は台風の脅威に曝されてしまいました。二十九年分の雨、台風のご挨拶で始まった記念すべき第三十回泰書展でした。ただ、陳列日には幸いに台風一過のような晴天に恵まれたことにより無事に陳列が出来、お手伝いの方々に喜んで頂けたことは、スタッフ一同、胸を撫で下ろす様な気持でもありました。
さて、記念すべき第三十回で、今回から日本経済新聞社様が共催との事で新聞に二回、泰書展開催記事が掲載されました。会員諸氏はピンとこない方が
大勢おりましたが、これは大変な事、泰書會にとって一大事であります。興福寺様の時もそうでしたが、中華人民共和国駐日本大使館後援、上野の森美術館後援も誠にありがたい事であり、日本経済新聞社様の共催につきましては二十九年間の努力の結晶、それに対するご褒美ではないでしょうか。泰書會の歴史に最大のエポックを残す結果となりました。
泰書會・泰書展は、それ程大きな組織・書展ではなく、寧ろ地味な活動をしている書道団体であります。日展を含め、各新聞社企画の書展、書道団体から比較すると、極めて小さな書道団体であります。一団体、一組織ではなく、泰書會は一家と言える程なのです。
また、今回は中国上海からも、第三十回展を盛り上げて頂くため、大勢の方が訪日、ギャラリーで覚群書画院作品展が併催されました。日中文化交流に微力ながら貢献する事が出来ました。
第一回展より、泰書會に関わって頂いた方々に心から御礼申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。
(機関誌 泰斗令和六年十月号 巻頭言より)
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7月20日
「自信と過信は紙一重である」とは泰雲先生が昔から述べられていたことです。そして私自身もこの言葉を自戒として今日まで来ました。「自信と過信」皆さんはどう思われるでしょうか。
ここでは書に対して考えてみましょう。自己分析してみますと、やはり過信しているところがあるようです。でもこれは自信なのかもしれません。ここまでこられた自信が一歩間違えると過信・自惚れになってしまいそうです。書道とはそんなものかもしれません。昨今の書展を見ますと、どうしても自惚れ書が徘徊しているのではないかと思います。と言うことは自身の作品もそう思われているかもしれません。然し、書道は個性の産物、だから自惚れなくしてはここまでやってこられなかったかもしれません。そこで心配なのが、個性イコール自信に繋がり、精神のどこからか必ず過信が生まれてくるのです。そんなことを考えて書に臨めば弱々しい書になってしまいます。弱い書であったら書く必要はありません。「自信をもって書きなさい」と考えましょう。自信と過信の押し問答になってしまいました。
「自信と過信」は恐いものです。よく書道展会場での談話に、会員同士で「この書は云々・・・」が聞かれますが、果たして自信をもって語っているでしょうか。もしこれを自信をもって語っていれば寧ろ恐いものがあります。そしてその会話中には自身の作品は褒めてもらいたいかもしれません。誰しもが思い浮かべることかもしれません。そして、そこから自信・自惚れが生まれてくる場合があります。
「自信と過信」これは書道だけでなくすべてのものに言えることでしょう。今、オリンピック真っ最中にこの稿を進めています。選手の眼には自身に満ち溢れていると時々聞かれますが、とんでもないことです。不安と恐怖心で一杯の目つきです。それを払い退けようとして、精神を高ぶらせているからあの様な目つきになるのではないでしょうか。書道も然りです。以前、述べたことがありますが、書けば書くほど、恐くもなり身震いもすることがあります。きっと「自信と過信」の葛藤があるのではないでしょうか。
(泰斗 平成十二年十一月号より)
7月1日
我が泰書會にとって創立以来の最大なる難儀が押し寄せてきた。世界中が大混乱である。自分だけが困っているのではない。世界中が困っている。その中で人々がどんな思いで一日一日を過ごしているのか。私自身には想像出来ない苦労がそこにはあるであろう。そして、新聞・テレビ・インターネットでは多くの事が報じられている。その総てが正論ではないが人々はそれらに振り回されている。
この様な最中、私自身はふと「静かなる世界」という事を考えてみた。「静かなる世界」とはどんな世界なのであろうか。
生まれてこの方、果たして「静かなる世界」に居たであろうか。私は居なかった、多分・・・。「百寺納経」で諸寺とご縁を頂いている。その寺院にすら時には、ざわつきを感じてしまう。それは観光という致し方ない状況がエスカレートしてしまっているからか。「静かなる世界」なんぞ中々得られない。また、自然遺産というものが現れた。特に人間が自然を破壊するから自然遺産として守ろうとする。なんだか矛盾している。自然遺産で、そこの場所にどれだけの人が押し寄せているか。結果これは自然破壊に繋がっている。そこでも「静かなる世界」が破壊されている。同じ様に「秘境」という言葉さえも陳腐に聞こえてくる。
ただ、これらの根幹は「心」の問題であろう。「心」が静かでなければ到底「静かなる世界」は得られないであろう。話が少しずれるが人間の闘争心を考えて見る。自分に耐え、一つの目標に向かって行くことは大切である。きっとその様な方々は、その闘争心の中に「静かなる世界」を求めているのであろう。現に私自身はその「静かなる世界」を僅かではあるが時々感じる。
これは自分の事である。もっと「心」と「静かなる世界」を繋げなくてはいけないと思った。それが「人の痛みを知る」
事にも繫がる。「静かなる世界」、「心」、「人の痛みを知る」があれば、どれだけ世界が救われるか。