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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その58

今回は~【書の奥深さを知る動画】「龍」を五書体で書いてみた~です。

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我に七十難八十苦を与えたまえ

我に七十難八十苦を与えたまえ

愚かな話である。いい歳をして何をか言わんや・・・。

人、各々の生き方がある。これは、年寄りの戯言とご容赦願いたい。最近、会員や巷からも「終活」を聞く。私にとっては、とんでもない「死ぬまで書き続けていく・・・」。終わりの準備をする余裕なんて考えられない。それも冒頭に申し上げた、人、各々である・・・。失礼な言葉だがお許し願いたい。

「終活」するならば、自分の為に努力し、それを残していけばよい。それをどう活かすかは後の者に託す。恩着せがましく、「誰それの為に」はおかしいと思う。命有る限り、自分を大切にして貰いたい。「終活」ではなく、生きていく為の「生活」になるべき。「終活」のエネルギーがあるならば、それを「生活」に変えた方がよい。その為には、先ず自分を大切にしなければいけない。そうでなければ、相手も幸せにならない。自分を犠牲にして、相手が幸せになる事はない・・・これも言い過ぎであろう。

私自身は求めている「書」がある。然し、最近は「書」の方が私に要求してくる。「お前はこれが書けるのか・・・書けるものなら書いてみろ・・・」。それも挑発的に聞こえてくる。頭の中がごちゃごちゃになる。

世間からは、悠長な事言って、ノウテンキと言われそう。でも私は必死である。何故ならば、「書」を残さなければいけない。それも、後の人々に理解してもらう「書」をである。「書生活」していかなければならない。子供の頃に「我に七難八苦をあたえたまえ」と言われた。未だにそれが忘れられない。それは七歳くらいの時。今は✕十である・・・。

(機関誌 泰斗令和六年九月号 巻頭言より)

我に七十難八十苦を与えたまえ

Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その57

今回は~【字が上手くなる!!】柳田流のこだわりの「書」について解説します。~です。

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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その56

今回は~【検証】<<放送事故>>書道歴60年の先生は初心者の下手な字を真似できるのか?~です。

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7月30日

美は乱調にあり 諧調は偽りである

大杉栄(思想家)・伊藤野枝の発した言葉で「美は乱調にあり 諧調は偽りである」があり、瀬戸内寂聴師がそれを解説したものがある。それは決して瀬戸内寂聴師が発した言葉ではない。これらには深い意味があり、私のようなド素人には解説出来る代物ではない。思想的に、闘争の中で、征服が生の拡充を邪魔し、反逆、破壊から「諧調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。諧調は偽りである。真はただ乱調にある」・・・。「でも実は諧謔=秩序には美がある。そして乱調=混沌にもまた美はあると。美の多様性または多存生が現代では当たり前」・・・と解説された本もある。かく言う私が、この巻頭言で何を言わんかが不明瞭となってしまっている。今の知識では難しい。だから単純に考えてみたい。

「濫觴」と言う言葉がある。「物事の始まり。物事の起こり。起源」と言った意味である。よって造語として「美は濫觴にあり」と思いたい。決して「乱調」ではない。「破壊」もあってはいけない。私自身の大いなる勘違いであるが、とにかく、美しいものには、それなりの根拠があり、それは自然界の法則から、人間が創造したものでもある。本当の美は、本当の「原点の美」「濫觴」を熟してから語られるものでもある。

中国晋代に王義之・蘭亭序がある。真跡は唐代の昭陵へと収められ、その本当の姿は、おびただしい数をつたえる拓本・紙本の向こうに見えかくれするばかり。ミステリアスな蘭亭序。その一節に「契事を修むるなり」がある。その宴に参加する前に、川の畔で水を浴び、厄を払い、汚れを除く禊ぎの儀式をしたと言われている。あの様な宴席での名筆の根本は「禊」である。

「書」の根本は「禊」であって貰いたい。

(機関誌 泰斗令和六年七月号 巻頭言より)

7月15日

今回は~【楷書の最高峰】72歳書家が本気で書く「九成宮醴泉銘」~です。

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