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ジグソーパズル
ジグソーパズル
最近、細字を書いているとジグソーパズルを思い出す。一字一字のピースを重ねて行く内に一つの作品が仕上がる。然し、いつも途中でそのピースが見つからず失敗に至る。一体、何をしているのか・・・。
今年の泰書展では三千ピースを二点仕上げた。それも間違いがなく(不出来は別として)纏め上げる事が出来た。
ところが、般若心経や大悲呪などの経文では時々、ピースを無くしてしまう。二百字や四百字のピースなのに、すぐに一つのピースが失われてしまう・・・。まるで自分の人生みたいなもの。
人生は希望があったり、失望があったり、ジグソーパズルとしては永久に仕上がらないもの。今の状態、年齢からくる体力が失われているのか。それはただの言い訳に過ぎない。毎日、コツコツ仕上げているのに、途中で何かを無くしてしまう。放棄してしまえばいいのにと考えられるが、それは人生そのものを放棄するのに等しい。困ったもんだ・・・。もう晩年なのに、うかうかしていられない。その焦りがあるのか。それも違う。やはり力不足であろう。この繰り返しである。
この瞬間、経文の文字を間違えてしまい、気を取り直し、この稿を書き始めた。毎度の事ながら、一つのパズルを作るのに試練としか言いようがない。たかが「書」である。その間違いは誰にも解らないかも知れない。特に何千字のピースは解らない。でも自分が許しがたい。こんなにチャランポランな自分が、そこは恐れおののいている。
天の声がいう。「誰も解りはしない。適当に書いたら・・・一層の事、辞めたらどうだ・・・」それは悪魔の囁きであろう。そして善の天使は何も言わない。
(機関誌 泰斗令和六年十一月号 巻頭言より)
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5月13日
棋道と書道
偶々、毎月のYOUTUBE取材で財団法人日本棋院にお邪魔した。「棋道と書道」の話をしたく日本棋院の玄関をくぐり抜けた時、どこか勝負の世界の異様な空気を感じた。昔、高校野球の聖地、甲子園に行った時も、汗と涙とが入り交じったグラウンドを異様に感じた。それと同じ空気が日本棋院にはあった。もちろんド素人の自分だけが感じたものではあるが、どこか足がすくんだ。
一つの理由として先代・泰雲が棋道にかなり拘っていた事があろう。泰雲が「書」以外で、没頭したのが囲碁であった。時には凄まじいほどの勢いで毎日、宿敵と打っていた記憶が鮮明に残っている。自分には到底入り込めない世界であった。ただ、泰書會創立時から、碁を打たぬ自分と、藤沢秀行先生を始め、多くの棋士との交流が続いている。
「琴棋書画」と云う言葉がある。中国から伝わって来た言葉であろう。「琴」は音楽、「棋」は囲碁、「書」は書法・書道、「画」は画である。中国では文化人の嗜みなのであろう。どこに行っても「琴棋書画」の雰囲気があった。ただ、現代では中々そこまで風流とはいかなくなった。これは文明の発達のせいであろう。音楽は、今やパソコン主流、楽譜が読めなくてもコンピューターで作れる。囲碁は中国ではスポーツに属する。勝てばいいのである。そしてAIとの共存、AIから学んでもいる。昔の中国は日本の縁側で囲碁を打つシーンが消えてしまった。「書」と言えばパフォーマンスが主流。組織の傀儡となっている。「画」もAIがかなり入り込んでいる。
何が言いたいのか・・・解らぬ。少々寂しい気がしただけ。私自身は「書」の世界で生きているので、昔方式の「書」を書き続けるしかない。現状に逆らうつもりも、否定するつもりもない。ただ、一人でも多くの人が人間らしい「琴棋書画」を大切にして貰いたいだけである。
(機関誌 泰斗令和五年五月号 巻頭言より)