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是非に及ばず
是非に及ばず
いい言葉だと思った。これを「書」の上での例えとして、私の思いを述べてみる。ただ見当違いな場合もあるが、そこは許して貰いたい。
最近の出来事に、経文の失敗が続いてしまった時期があった。珍しいことである。普段なら、せいぜい一枚か二枚、四、五百字ほど書いたところで、文字の書き違いが生じる程度である。それも、筆が馴れて軽率な心で間違える。ところが今回は、四枚続けざまの失敗であった。さすがに自分の愚かさが、身に滲みて感じられた。
これを修行というならば、この歳では無意味にさえ思える。若いうちの修行はいくら積んでも将来があるが、晩年ともなれば、かえって厄介なものとなる。一瞬にして、これまで積み重ねてきたものが、すべて気泡のように消えてしまう感覚に陥る。それでも、歩みを止めるわけにはいかず、なお経文を書き続けなければならない。
折しも、新聞のコラムに織田信長の「是非に及ばず」の言葉が紹介されていた。ふと、我に返った気がした。「善悪を論じる余地もなく、避けられない状況をそのまま受け入れること」との解説である。
とはいえ、現実には、改めて筆を取ることが怖くなった。また失敗するのではないか、その不安が先に立つのである。今の状況下では、よほど覚悟が必要であろう。これだけ長年、経文を語るように書き続けてきたにもかかわらず、このような状態に陥るとは、精神力、集中力、忍耐といったものすら無用に感じられてしまう。それでもなお、「是非に及ばず」と受け止めるより他に、道はないのであろうか。
(機関誌 泰斗令和八年二月号 巻頭言より)
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11月1日
満腹はするものの満足はしない
表題の言葉は食事をしている時の会話からである。これをよく考えると色々な場面にあてはまる。「書」もその一つである。書き上げた事に満腹感を感じていても果たして満足するのか・・・。言い換えれば「反省」でもある。仕事もそうである。ただ精一杯した仕事と満足な仕事は違うかもしれない。経文を読んでいても、ただ読経するのと、心の奥底から読み上げる経文は違うはず。これは全て自身が感ずる事である。端が評価したとて、自分の問題である。
しかし、こんな考えだけで道は歩めぬ。弱気があってもよい。満腹の時もあってもよい。満足なためしが・・・が無い時もある。時々、「書」に壁があると言う人がいる。そんなに簡単に壁なんか出来るものではない。それは練習量の足らなさから出る言い訳である。きっと毎日、満腹状態で過ごしているのかも知れない。そこには惑わされる自分がいる。そんな思いから、果たして満腹にも至らぬ時もあってよい事に気がついた。そこまで行かず事が終わってしまう場合もあるだろう。それはそれで甘んじてよいであろう。
インスタントでは満腹感しかないだろう。(最近はインスタントもかなり美味しくなっているといわれているが・・・)。子供の頃、おばあちゃんが作ってくれた、御御御付、お新香、コロッケ、ほかほかのご飯。これは最高の満足であった。舌が肥えると贅沢が出てくる。満足感が遠のいてしまう。これも怖い。贅沢に歯止めがきかない。これは自分に対する戒めと同時に、少しは自分自身が元に戻る事を考えなくてはいけない。
先日の泰書展の作品の一つに「教育勅語」があった。心を戒め、穏やかに整生たる書法で書きたかった。これは満腹でもなく満足の一歩手前であった。しかし、そこに自分の活路を見出す事も出来た。
これからの短い書人生に於いて、満腹では無く、満足な作品を仕上げる事を心掛けよう。幸いに歳と共に食欲も少しは減り暴食が無くなる。であれば、自分の「書」もそんな穏やかで満足な「書」になればいいのでは・・・。
「秋は食欲の季節」。さて如何なる事になるか・・・。(泰書會 機関紙泰斗 11月号巻頭言より)
