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Youtubeチャンネル「書人柳田泰山」その63
今回は~【筆の持ち方と書の美学】泰斗5月号を書きながら柳田流の筆の美学を語る。~です。
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今回は~【囲碁×書】先代・泰雲との思い出の日本棋院で対談しました。~です。
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今回は~【検証】書道ど素人に泰山先生が30分教えたら「書」はどれだけ上手くなるのか?~です。
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第三十回泰書展を終了して
第三十回泰書展を終了して
二十九年間、開催時に雨が降ったのはほんの数回でした。正に、「晴れ男」の一言に尽きました。それが今年は台風の脅威に曝されてしまいました。二十九年分の雨、台風のご挨拶で始まった記念すべき第三十回泰書展でした。ただ、陳列日には幸いに台風一過のような晴天に恵まれたことにより無事に陳列が出来、お手伝いの方々に喜んで頂けたことは、スタッフ一同、胸を撫で下ろす様な気持でもありました。
さて、記念すべき第三十回で、今回から日本経済新聞社様が共催との事で新聞に二回、泰書展開催記事が掲載されました。会員諸氏はピンとこない方が
大勢おりましたが、これは大変な事、泰書會にとって一大事であります。興福寺様の時もそうでしたが、中華人民共和国駐日本大使館後援、上野の森美術館後援も誠にありがたい事であり、日本経済新聞社様の共催につきましては二十九年間の努力の結晶、それに対するご褒美ではないでしょうか。泰書會の歴史に最大のエポックを残す結果となりました。
泰書會・泰書展は、それ程大きな組織・書展ではなく、寧ろ地味な活動をしている書道団体であります。日展を含め、各新聞社企画の書展、書道団体から比較すると、極めて小さな書道団体であります。一団体、一組織ではなく、泰書會は一家と言える程なのです。
また、今回は中国上海からも、第三十回展を盛り上げて頂くため、大勢の方が訪日、ギャラリーで覚群書画院作品展が併催されました。日中文化交流に微力ながら貢献する事が出来ました。
第一回展より、泰書會に関わって頂いた方々に心から御礼申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。
(機関誌 泰斗令和六年十月号 巻頭言より)
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7月10日
自受法楽の「書」
三月上旬に、中國・洛陽からの依頼で、日本人の書家数名の書展を開催したいとの連絡を受け、多少は躊躇したものの、久ぶりに臨もうと重い腰を上げた。字数にして何点かの合計が五千字弱はある。それも作品締め切りが五月中旬である。結果、この原稿を書いていられるという事はそれを達成した事にもなる。
それから、御奉納作品制作が数点あり、時数にして四千字弱ある。その作品は今現在も進行している。この二つの出来事は私にとって、荷の重い制作でもあった。全てにおいて時間との闘いとなる。
「書」は漠然と書いてはいけない。そこに作家たる信念を持って、全知全能を傾けて臨まなければならない。ましてや経文となれば尚更である。煩悩の塊の自分がどこまで耐えられるものか不安でもあった。
なんだか、この様な事を書けば自慢話になってしまう。それでも、記事として書き残しておこうとしている自分がいる。「書」を書く時、昔、仏道の師より「自受法楽」と言う言葉を教わった。意味としては「仏が、自らの悟りの内容を深く味わい楽しむこと。転じて、法悦にひたること」である。勿論それは正論であるが、実は、人はその真逆になると諭された。俗に、自己満足、悦に入る・・・悪い方向に向かってしまう。「自信と過信は紙一重である」仙台もかなり我々に諭していた。
これだけの量を書けば達成感がある筈だったのが、その「自受法楽」が頭の中にあり、不思議な思いで数点を書き終えた。思い描いている自分と、書き終わった自分に違いを感じた。どこにも自己満足がない。いや、もっと上手く書けるのではと思っているが、前述した時間との妥協である。
こんな混沌とした時代に悠長な事を述べているが、本人は必至な思いでもある。そして、この経文との対峙は、ここ数年は続くであろう。
(機関誌 泰斗令和五年七月号 巻頭言より)